「クレクレ星人の独り言 52」/ジム・プリマス
 
のではないだろうか。今、僕は冗談でなく真剣にそう思っている。
 ダイス船長やモンスリーが、自分の間違いに気づいて、善性を取り戻す。つまり魂が善転換するシーンが描かれている。そういう場面を描くことが出来る人間性の深いところに、先生の直向(ひたむ)きな善意を感じる。
 ポリコレとかDEIに傾倒している連中の想いの底には、悪意と邪な欲望を感じる。そういう連中が作り出す作品には、そういう想いが籠る。そういうところは、観客たちには分からないようでありながら、自然に伝わるものなのだ。
 ハリウッドの偉いさん達には、そういう、人間の持つ皮膚感覚が理解、出来ないのだろう。金を持て余していても、哀れで可哀そうな人たちだ。新しい世界が訪れたとき、かれらは何処にゆくつもりなのだろうか。
「侍タイムスリッパー」にもそういう作り手の、善意がこもっている。だからウケルのだ。

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