砂の城の考察 #2/まーつん
という教えを聞いても、大多数の人間にとって、それが敵を愛することを実行する助けにならないのであれば、聞いても聞かなくても結果に変わりはないように思える。
主体性という天秤の皿にそれぞれに、相対する生き方を乗せるとしたら、一つは、無数の名作や教典を読み耽ること、もう片方には、他人の言葉に振り回されずに、好き勝手に生きていくこと、が挙げられる気がする。
僕の予想では、好き勝手に生きていくことを乗せた皿の方が、ぐっと下へ沈み込む。
それは行為と言葉の差であり、人が本当の賢さを得る手段として、行為は常に言葉に勝ると信じているからだろう。言葉は「近道」を教えてくれはするが、実際に歩くという行為こそが経験を生む。そして言葉は経験の代理にはなりえず、経験こそが真の糧としてその人の内面を形成していく。頭でっかちになるなってことだ。まあ、こんな文章を書いていることが、頭でっかちな振る舞いそのもの、という気もするが。
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