自然と、人間/鏡文志
べきであろうか?
科学は神のご意志なく、万物の因果関係によりすべてがなることを解明し、説明しようとしてきた。
雨が降ることに、人間がおしっこをすること以上の違いを求めない。そこには質がなく、品もなく、価値の違いもない。人間的な尺度によってすべてを決めようとしてきたヒューマニズは、やがて自然界で揉まれている内に破綻し、元の木阿弥になるのがオチなのである。
広きものが全体であるなら、狭き個としての人間はどう生き、快適で豊かな生活を送ることが出来るであろうか? 狭き門を守ることによって、弱き己を肯定することによって、目先と我欲に生きている自分を認めることによって、つまり限界を知り、高きに首を垂れ、
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