イヴの手が触れるアダムの胸の傷あと ──大岡信『地上楽園の午後』/田中宏輔
 
る。これは、ただ筆者の憶測にしか過ぎないが、この詩の題名にある、友だちとは、おそらく吉岡実氏のことであろう。しかし、それにしても、この詩人の嘆きは、(あえて、この詩作品の表現主体は、とはいわない。)なぜ、こんなにも美味なのか。近しいものがこの世を去ることほど悲しいことはない。かつて妹の死という悲しみが、宮沢賢治の胸のなかで、美味なる詩の果実となったように、親しい友人の死という悲しみが、大岡信氏の胸のなかで、美味なる詩の果実となったのであろう。悲しみの果実、その美味なる果肉を一?り、


《その人は種を携へ
涙を流していでゆけど
束を携へ
喜びて帰りきたらん》   
(詩篇一二六)

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