人格と世界観9・直観的思考と詩心?/ひだかたけし
、比喩として、象徴として存在しているものが、根源の姿をとって開示されているのだから。
外界では探求も解明もできない事柄、神的としかいえない事柄が、
自己直観を通して、真の姿で現れる。
自己直観においては、理念存在が直接その姿を見せるのだから、
人間はこの理念存在をすべての現象の中に、自然のすべての中に探求し、
そして解明する能力をも獲得するのである。
自己直観を体験した人は、現象の背後に「隠れた」神を探し出そうなどとは思わない。
神的な存在のさまざまな変容を、自然の中に見てとることができるのだから。
ゲーテはフリードリヒ・ヴィルヘルム・シェリング(一七七五〜一八五四)について、こう述べている。
「私が詩作に期待を寄せていなかったら、シェリングともっとしばしば会っていたでしょうが、
哲学は私の詩心をだめにしてしまうのです。
私を対象のひとつにしてしまうからです。
私は自分を思索の対象にふけらせたりしません。
何を書くにも、直観を頼りにしようとして、すぐに自然に逃げてしまいます」(シラー宛書簡、一八〇二年二月一九日付)。
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