渦を巻き、堤防を越えて、濁流となって/ホロウ・シカエルボク
るための感覚であるはずなのに、それを手に入れるために人の暮らしを捨ててしまったら本末転倒だ、仮にそんな苦しみの果てに運良くそれを手に入れることが出来たとしても、もうそれがなぜ自分の手の中にあるのかということすら理解出来ないだろう、修行が必要だと誰もが言うんだろう、でもそれはあくまで、生活に根差した先にあるものでなければならない、瞑想の為だけにすべてを投げ出すのなら、ウォーキングの習慣を身に着けるとか、少ない稼ぎの中でやりくりしてジムにでも通う方が余程有意義だ、熱意など真実には邪魔だ、どんなに語ったところで一行でも良い文章が書けるわけでもない、それは話が違うというものだ、矛先と方向を間違えてはいけな
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