渦を巻き、堤防を越えて、濁流となって/ホロウ・シカエルボク
 
さ、誰かに届けるためにこうする、なんていう工夫も結局自己満足に過ぎない、詩人の言葉など本人だけがわかっていればそれでいい、たとえそれが音楽だって、小説だって同じことだ、誰もが自分の手の中に在るものをばら撒きたいだけなのさ、「普通は」「常識的に」「みんなが」そんな言葉が逃げ口上に思えるのは俺だけなのかね?誰もそのことを疑問に感じていないのか?そういう世界を俺は凄く気味悪く感じるんだ、まるで自主的に洗脳された食用の豚だよ、喜んで殺されに行く家畜だ、いや、俺は別にそういう連中をどうこうしたいわけじゃない、ただ、俺の視点から見るともの凄く悍ましいものに感じるってことを言いたいだけなのさ、フラットな自分とい
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