スポーツ/足立らどみ
 
として形が残るものの、スポーツ観戦や詩の読み手の体験は、むしろ瞬間的で内面的な「共鳴」に近いかもしれませんね。
スポーツ観戦も詩を読むことも、あるいは音楽を聴くことも、その行為自体が観る側・聴く側の感情や感覚を揺さぶり、心の中で反響する。まさに胸の共鳴板が振動するような感覚が共通していますね。たとえば、贔屓の選手が見せる美しい動き、意外な展開、あるいは苦しい瞬間に、自分の心が一緒に高鳴ったり痛んだりする――その瞬間に生じる共鳴が、観る人にとっての「体験」として刻まれるのだと思います。
詩を読むときも、言葉の意味以上にリズムや響きが心に何かを訴えかけてくる。同じ詩を読んでも、読み手ごとに感じ方が
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