フィクションへの意思/鏡文志
しなさは同時に常日頃から現実に抱いている釈然としなさでもある。
現実をありのまま描き、そこに答えを見出そうとするのは、自分がなにを求め、何故生きて、どこに答えを見出すのかという禅問答の中にいる体を曝け出すようなものだ。
現実は続いているのだから、どこかでミュージックエンドしなければならない。そこで疑問符に終始する釈然としなさが、作品の跡として残るのだ。
フィクションは素晴らしい。フィクションには、人間の望み通りの楽章と、決められた分かり易さに支えられたルールが、ある。そのルールの美しさに則って生きれば、人は生きて、輝きを取り戻すことが出来ると思う。
フィクションは混沌の世界
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