Supper’s Ready。/田中宏輔
く も ある か
(會津八一)
飛び石のように置かれた言葉の間を、目が動く。韻律と同様に、目の動きも思考を促す。
余白の白さに撃たれた目が見るものは何だろうか? 言葉によって想起された自分の記憶だろうか。
八一が「ひらがな」で、しかも、「単語単位」の分かち書きで短歌を書いた理由は、おそらく、右の二つの事柄が主な目的であると思われるのだが、音声だけとると、読みにおける、そのたどたどしさは、啄木の『ローマ字日記』のローマ字部分を読ませられているのと似ているような気がする。では、じっさいに、右の歌をローマ字にしてみると、どうか。
sayo fukete kado yu
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