Ommadawn。/田中宏輔
ないところがあると思われるのだが、少なくとも、「習慣的な」思考とみなされるようなものは、そこで用いられている「言葉」というよりも、むしろ、その思考をもたらせる「型」や「傾向」といったようなものによって、主につくられているような気がするのであるが、どうであろうか? というのも、
人間というものは、いつも同じ方法で考える。
(ベルナール・ウェルベル『蟻』第2部、小中陽太郎・森山 隆訳)
というように、思考には、「型」や「傾向」とかいったようなものがあると思われるからである。そしてまた、そういったものは、その概念を受容する頻度や、その概念をはじめて受け入れたときのショックの強度に
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