詩小説『雨の日の猫は眠りたい』その2。/たま
たいなもので、メモ帳は二、三枚書き付けては剥がすことができる。剥がしたメモは、すべて肩紐で綴じることができるのだが、詩人が生きつづけてメモ帳を手放さなかったら、それを綴じ終えることができるのは、詩人の没後になってしまうだろうし、綴じ終えたとしてもメモは未完のままでしかない。
さらもうひとつ付け加えるなら、これは詩人の生き方が例外なく自己に帰結することを、嘲笑的に示唆しているようにもおもうのだが、自己ではなく自他に帰結できたとしたら、メモ帳に書きつけた詩は小説になり得るだろうか。わたしはその解答を待ちきれないからいまこうして小説を書いているけれど、これもまた終わりのない小説のほんの一小節であるか
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