Sat In Your Lap。II/田中宏輔
可知的形象によって自己が形成されることをやめて別の可知的形象を受けることであり、このようなことができるためには、可知的形象を受ける主体としての知性の実体と、この実体に受け取られる可知的形象とは、別のものでなければならないからである。
(トマス・アクィナス『神学大全』第一部・第十四問・第二項・訳註、山田 晶訳)
やはり、このあいだ、わたしが書いたように、「犬が犬であることにうんざりしているように見える」のは、その犬を見ている人が、「その犬に自分の魂の一部分を与える」からであり、その人が、「自分の魂のなかに、自分の魂とその犬の魂とが共有する領域を設ける」からであろう。
ヤリタ・ミサ
[次のページ]
戻る 編 削 Point(6)