もうすぐ百の猿になる。/田中宏輔
いう言葉を目にして、この言葉の「自分」と「別の者」という言葉を入れ替えると、ぼくの考え方にかなり近いなと思った。もちろん、ぼくのいう「多数の他者に似ていく過程」は、エリオットの『伝統と個人の才能』のなかにある「個性滅却のプロセス」(平井正穂訳)とほとんど同じものだろう。トーマス・マンの『道化者』のなかに、そういった過程を経ていく描写がある。「おれは多読だった。手に入るものはなんでもかんでも読んだ。しかもおれの感受性は大きかった。おれは作中のどんな人物をも感情で理解して、その中におれ自身を認めるように思うので、他の書物の感化を受けてしまうまでは、ある書物の型に従って、考えたり感じてたりしていた。」(
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