語の受容と解釈の性差について──ディキンスンとホイットマン/田中宏輔
 
えよう。ツイッター連詩に参加していたときのわたしの魂の高揚感は、あの興奮は、魂が励起状態にあったから起こったのだと思われる。というか、そうとしか考えられない。能動的であり、かつ受動的な、あの活動的な魂の状態は、わたしの魂がはげしく魂を呼吸していたために起こったものであるとしか考えられないのである。あるいは、あの連詩ツイットの言葉たちが、わたしの魂を呼吸していたのかもしれない。そうだ。あの言葉たちが、わたしの魂を吸い込み、吐き出していたのだ。しばしば、わたしが忘我の状態となるほどにはげしく、あの言葉たちは、わたしを呼吸していたのだった。

長く書いてしまった。もう少し短く表現してみよう。ツイッタ
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