語の受容と解釈の性差について──ディキンスンとホイットマン/田中宏輔
あるとき、atom、つまり、「原子」という言葉が、ディキンスンとホイットマンの二人の詩人の詩に使われているのを発見して、これは、おもしろいなと思ったのである。それというのも、当然、この二人の詩人が、「原子」という言葉の意味を知っていたからこそ、その言葉を使ったのであろうから、ある一つの言葉の概念が、二人の異なる性別の人間のあいだで、おおよそ、どのように捉えられていたかを知ることができるし、その言葉に対して、共通して認識されていたところだけではなく、違った受けとめ方をされていたところもあるのではないかと考えられたからである。ディキンスンは、1830年生まれ、1886年没で、ホイットマンは、1819年
[次のページ]
戻る 編 削 Point(8)