気泡/たもつ
 

兄のように笑うこともできずに
俯くしかなかった
今でもまだ何も知らない
これから何を知るのか
それすらも知らない

気泡が昇っていく
徐々に膨らんで
水面に溶けてなくなる
たぶん僕はあれにはなれない
習字よりも綺麗なので
ずっと眺めて遊んだ
どこからか帽子が飛んできて
丸く歪んだ影をつくる
列車の窓を開けた兄のものが
ここまで飛ばされてきたのだと思った
帽子はいつも
窓から風で運ばれるものだから
そして今、空いている窓は
兄が開けた列車の窓しか
ないはずだから

何か悲しいことがあっても
いずれすべては収まっていく
母は牛肉を中華風に加熱して
帰りを待ち侘びているだろうし
兄ならば開口一番
牛肉が食べたいと言うのだろう
ここに届くことはない兄の日々を
僕は僕の日々として順番に過ごす
眺め続けた気泡の
ひとつひとつを思い出しながら
急行列車の窓を閉める
最後まで返しそびれた兄の帽子が
溶けてしまわないよう
両手で握りしめる





(初出 R5.12.8 日本WEB詩人会)


戻る   Point(8)