沈黙と言葉/ワタナbシンゴ
 
も沈黙を選んだ。沈黙の閾値が持つ重みが、彼の中の断絶に横たわっていたからだ。それはすなわち、言葉の向う先、語り手や声の大きさ、立場や批判対象すらすべて覆わざるを得ない沈黙の重さだった。


それは、沈黙せざるを得なかったことの重みを誰よりも知っていたからだともいえる。歴史の事実とは、果たして大きな声で語れるものだろうか?人間の得体のしれなさ、自然の厳しさ、簡単に心を失う拠り所のなさ、その中でも筋を通し続け死んでいった者のあり様。石原の詩からは、軽薄な言葉や目的の機能と成り下がった言葉に対する、射るような眼差しが発せられている。


最後にもうひとつ、私の好きな石原の詩を贈りたい。



世界が滅びる日に
かぜをひくな
ビールスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は
八時に仕掛けておけ

(石原吉郎『続・石原吉郎詩集』「世界が滅びる日に」)






その石原も晩年、アルコール依存症と女性関係で身を持ち崩し、この詩が発表されてすぐ、泥酔による心不全でこの世を去った。
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