浜茄子/本田憲嵩
 
声、たおした運転席で両の腕を後頭部に組みながら、おそらくはだれの干渉も受けてはいない。ああ、ぼくが行きついたのはこんな世界の最果てなのか。その老いた彼はたしか先週もそこにいたはずだ。コカ・コーラの自販機に取り付けられた電子マネー決済の読み取りパネルはもうまったくと言っていいほど反応しない。その自販機本体ははひどく色落ちしている。
それでもとなりの湖畔のキャンプ場にはテントが二つか,三つ、きれいな水洗トイレがあり、炊事場にもまだきちん水がとおって、海岸では老夫婦とその孫が中身のない白い貝殻や海水で滑らかになった小石なんかを拾っているとても微笑ましい光景がある。国道を挟んだ向かい側には湿原の大きな沼が金色の陽にかがやき、ささやかな花壇には赤や白の浜茄子の花が色あざやかに咲き誇っている。
あらたに開通された高速道路と道の駅にとってかわられた、パーキングの、こんな最果て、こんな最果てでも、わたしはたしかに生きているのだ。


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