桐島部活やめるってよ感想/モマリサ公
 
もよかった。棒読み=実感がない、
という公式が成り立っていたように思う。
「実感のなさ」という「実感」がこの映画にはあふれていた。
実感のなさという現実のなかで実態をもっていることに
抵抗をかんじたなんでもできる桐島が姿を消す事によって
カリスマをうしなったクラスメイトとバレー部が
秩序をなくしなににむかっていくのかわからなくなくなっていく。
決定的に
「不在の存在」
というものに向かいあう
そういう現実について
我々は考えざるを得ない
そういう映画であった。






わたしたちは映画をみているのではない。
とときどきおもう。
わたしたちは自分のコンディションを確認しているのかもしれない。
この日映画館にいた6人がつくばの状態を象徴している。

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