雨の日の憂鬱/山人
 
を体内に収めることで一日の儀式を終了させ、どこかへ追い立てるのだ。
 無人駅に戻ると私は「明るい安村」が欲しくなった。裸でいるのは興ざめするが、あんな壊れかかった笑顔が見たいと思うのである。壊れるというのは語弊がある。破顔といった表現が正しいかも知れない。すべてを笑い飛ばすというようなそんな笑顔を見たいという気分になる。それほど雨は強く降るでもない、やるせない降りを提供していたのである。
 無人駅の除雪作業員室のベンチに靴下のままの足を載せ、私はまた森鴎外の「雁」の続きを読み始めたのである。現代の娯楽小説のような鋭い切れ味やスピーディーな話も展開もなく、百年以上も前の時代を楚々と語り続ける世界
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