適切な靴を履いて歩いている薄汚い夜の現象/ホロウ・シカエルボク
 
か問われるのだ、面倒臭いと読まない方を選択したら、そこからの人生は実質空っぽだ、ただひたすら自己満足を追いかけるだけの人生だ、読み始めたところで、それはすんなりとは進みはしない、文章として整理されておらず、字も小さく、表現としても難解で読み辛い、けれどー読み進めれば必ず何かは得ることが出来る、そして、何かを考えることが出来る、面倒臭い方へ、難解な方へと踏み込んでいかなければ、本当に身になるものを掴むことは出来ない、即決は避けることだ、ひとつの事象に、三つ以上の見解を必ず持つべきだ、バリエーションの中から一番しっくりくるものを見つけ出す、その繰り返しが居心地のいい場所へと自分自身を連れていく、そうーこんな薄汚い通りを歩きながらでもね…捨てられたのか盗まれたのか、それとも忘れられたのか、歩道の真ん中に自転車が横倒しになっていた、そいつを起こして、道の端に寄せる、そんなことをしている俺を見て、二人の若い女が馬鹿にしたように笑いながら去っていく、それが彼女たちの美学なのだ、俺は首を横に振る、彼女らも誰かから生まれてきて、百年近い人生を与えられたものたちの二人なのだ。


戻る   Point(1)