料理で俳句?目玉焼き/SDGs
迎えに来た父は、私たち(兄と私)を連れて、下関に戻る。さみしそうにしている私たちを慰撫する気持ち、あるいは扱いに戸惑ったことから、食堂車のアイデアになったとおもわれる。
母の入院は長く三ヵ月に及んだ。父の仕事は忙しく、またその頃の父親というものが熱心に子育てをするわけがなく、その間私たちは親しくしてくれていた知人に預けられ、お世話になったというがその間の記憶は全くない。母の入院と父の気づかい。それが食堂車になり、目玉焼きにつながるのだが、これもまた記憶のパッチワークかもしれない。
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