料理で俳句?目玉焼き/SDGs
にやっているにちがいない。しかし、たとえそうではあっても、思い出すままに書いてみよう。書いているうちになにか思い出すこともあるかもしれない。
その時私は四歳か。昭和三十年代。駅はおそらく山陽本線徳山駅。下りの急行列車のはずだ。当時も今も普通列車に食堂車は連結されていないし、食堂車があるのは急行と特急だけ。その頃、昼間の特急列車は「かもめ」一本だけであり、それに乗ったとは考えにくい。それに、家族で徳山以東に行く機会があったのはそれから1、2年後だ。というのも、仕事を求めて下関に転居した父の郷里は徳山の大島半島の先端にある島だったし、母の台湾からの移住先はその島への途中にあった。つまりは当時の
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