料理で俳句?目玉焼き/SDGs
時の私たちの行動の東果は徳山というわけだった。
なぜ食堂車にいたのか。おそらくそれは父の配慮であったにちがいない。その前日、母は急性虫垂炎で入院した。徳山市内のどこの病院だったのだろう。櫛ケ浜あたりかもしれない。そんなに大きな病院ではなかった気がする。病院の様子についての記憶はない。覚えているのは医者が手術用のベッドに素裸に横たわる母の陰部の毛を剃っている光景だ。コンクリートの床が濡れていた。椅子にすわってじっと見ていたのだろう私に気づいて、医者は出ていくように言った。あるいはそう言ったのは母だったか。
そこで記憶が切れ、食堂車の目玉焼きのシーンにつながる。朝一番に下関を発って迎え
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