黒ヒョウ事件/やまうちあつし
様子はどうも
恐れているのではないように見える
もしや、と思い私は尋ねる
ひょっとして
会いたいのか
家人はしばらく黙っていたが
やがて俯いて答える
だって野生の黒ヒョウなんて
めったに見られるものではないよ
ばかなことを、と一笑に付す
命の危険があるんだぞ
周囲にも迷惑がかかるじゃないか
家人は口を真一文字に結んで言う
この世であれほど美しい動物を知らない
あれほど黒くてしなやかな身のこなし
人間なんてどうやったってかなわない
やがて玄関は開け放たれ
家人は出奔した
残された私は
レトルトのカレーを食べながら
ばかなことを、と帰りを待つ
ふと
黒ヒョウが頭をよぎる
高い木の枝に難なく上り
そこから一瞬で飛び降りて
何も気にかけることがない
テレビでは総理や知事が
不要不急の外出をしきりに戒める
私は地図を広げる
家人によって記された
いくつかの?印が目を引く
ここからそう遠くはない
ばかなことを、とみたび呟き
玄関を出る
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