17歳 砂に何を埋めた?/瓜田タカヤ
実はありふれた結論であった。
この時期に思っていた真実ってのは、
何らかの言葉で全てを一つにまとめられる証明で、
この後が重要なのだが
しかも自分にとってポジティブである衝撃が無ければならない
(そうだ!こう言うことだったんだ!という
前向きな充足感がなければダメであると思っていた。)
というものを想定していたんだけれど
それにたどり着いた言葉は
「そういう真実(上で言ったような真実)は無い」という
儚きかな現実であったのだ。
ただそれが実は、上記の二つ目の事柄(ポジティブである衝撃)
と言う意味では、満たしていた。
なぜ「真実は無い」と言うことが、前向
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