ひらがな変換/Terry
わたしはとんだ
はるかむこうのやまをこえた
みしらぬとちへと
ながれおちても
こころはそこへと
このような詩を見るとどうでしょう。第一印象は、全てがひらがな、記号的に解析しづらく、同様に目を凝らさないといけません。凝らすことがひらがな変換の欠点とは逆に、それが詩の人気を呼び、存在を至らしめると私は考えています。
話が深入りしますが、記号である「山」が、ひらがな変換により「やま」へと変わり、上述した詩になります。読者は一旦疑問符を打ちます。そして、色々な刺激を受けます。パズルを組み合わせ、十人十色の解析、解釈を抱きます。創造を味わい、ひらがな変換により、その分の調味料が重なり、さらに創造するということです。すなわち、ひらがな変換は、創造性を深める手段と言えます。
欧語はどうなのか? 答えは単語の組み合わせです。『ハリーポッター』の洋書はお近くの本屋さんに置いてありますね。
ひらがな変換を用いている諸氏、読者に文学の楽しみの一助となれば幸いです。
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