井戸を覗き込む/こたきひろし
た。
実家に棲んでいた頃から彼女は弟思いの優しい人だった。
姉は言葉を何も発しない。微笑みかけてくるばかりだった。
実家に一緒に棲んでいた頃、風呂嫌いの彼の体を無理矢理風呂場に連れていき、姉は度々彼の体を洗ってくれた。
風呂の水は井戸の水で台所の手動ポンプから風呂場まで管で繋げてあった。
風呂は五右衛門風呂で薪で沸かしていた。温度が下がると薪を燃やし、熱いと井戸の水を汲んで温度を下げた。
風呂場を囲うものは何もなく姉が入ってぬるくなった時は彼が薪を燃やす事もあったし、その逆もあった。
だからお互いの全裸を見てしまうのは日常であった。
堤防に現れた姉はちゃんと服を着ていた。
彼女は弟に川の岸辺を指差した。無言のままだったが、彼もまた無言のままに視線を向けた。
そこにはなつかしい井戸のポンプが備え付けられていた。
彼は迷わずに汲み上げてその水を飲みたい衝動にかられた。
しかしポンプの下の水源は東京の汚れた川の水だった。
汚れた川の水に変わりはなかった。
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