ロボウティー「天動説の子ども」について/田代深子
 
まれてこないのではなかろうか。読者の同情や共感の涙を誘えばいいというものではないだろう。それは「母の死」を、自らのうちで意味づける行為なのだ。作品を書くことによって、「母の死」は作者の中に、そのようなものとして構築される。もっと言うならば、作品化しなければその女性の死は彼にとって「母の死」とならない。「母の死」を書くのに5年10年かかるのは、むしろ当たり前であるようにも思う。
 この作者は発表後の改訂をいとわないのであるから、ぜひこれからも推敲を繰り返して継続的に改訂し、読ませてほしいと思う。言葉の配し方、行の開き、長さ、韻。推敲し推敲し推敲し、大幅な書き直しを加え、けっきょく一番最初の形にもどったり、破れを破れとして残さざるをえなかったり、というような。そのように変化し続ける作品があってもいいではないか。
 われわれにとって「母の死」は、完成することなどないはずなのだから。



2005.3.20

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