人が待つもの2/チャオ
 
る」という自らの行動によって打破できるものだ。それが、手紙であったとしたら?
君は好きな子に告白の手紙を出す。君はその手紙が届いたことも、読まれたことも完璧に知ることは出来ない。ただ、その子の返事を待つだけなのだ。何日も?何時間も?その答えは不定形でいつやってくるのかわからない
それを待つとき。君はエミリディキンスンの純粋なつらさに直面する。

それは、いくつもの言葉を使うよりも、感じるに越したことはない。君自身、待つことだ。永遠に不定形な「いま」の瞬間を。
君は常に君の完璧を目指す。それは訪れてはまた姿を消していく。
何度も愛する人に手紙を出し、何度も、愛の語られる手紙を待つ。そこに、必ずしも愛を拒絶する内容が書かれてはいないということは限らない。ただ、おびえ、愛の手紙を待つのだ。

君が志したすべての行為は、君が費やされた時間に保証されているわけではない。それでも、君は志、それが花開くときを待つ以外のことはできない。
一瞬後でさえ、未来は暗闇なのだ。恐怖をもっと敏感に感じとる。そして、僕らは明日の、完璧に近づくはずの僕を待ち続けるのだ。
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