人が待つもの2/チャオ
 
以前、待つ行為について考えた。今日も、考えてみようと思った。エミリディキンスンの詩を読むたび、僕は待つ行為の困難さと安易さをひしひしと感じる。全く矛盾した文章になるのだが、やはりそう感じる。困難さと、安易さ。その矛盾した感情を両方いっぺんに含んでいるように感じる。

愛がそこにあるとき
一時間待つのも長い

それはだれにでもある体験だろう。本当に好きな子と仲良くなって、明らかに恋愛関係に陥っているとわかったとしても、告白できないもどかしさ。僕らは、すぐそこにある愛の未来にさえおびえているのだ。
もはや断られることがないとわかっていても、それを保証するものはない。だが、それは「告白する」
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