サヨナライオン/やまうちあつし
 
がない
   
   なぜだろう、とは思うけれども
   それどころではないので
   目下直面しているところのお別れに
   身を投じてゆくことになる

   わたしの祖父は敬虔なクリスチャンで
   八十二歳でこの世を去った
   病に冒され余命幾ばくもない頃に
   教会の牧師や信者の友人らを病室に呼んで
   祈りの会を持つことになった
   わたしは思ったものだ
   近々訪れる自らの死を
   祈りの中にこめるとは
   一体どういう心持ちなのだろう、と
   人生最初の十日間の記憶は誰も持たないけれど
   人生最期の十日間は場合によっては体験しう
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