批評/コーリャ
藝術としての詩とは生きるうえでわきあがる言葉のことだ。本当の批評は生に向かわせる。
批評は相手を必要とする。誰にもきかれない批評は批評と呼ばれない。批評は相手とその周縁を必要とする。その総体に向かって、生きるうえで感じることを、とにかく誰か相手に伝えることだ。
だから、
呪いは批評ではない。むしろ逆のものだ。
批評はことほぎだ。
生は、相手を必要とする。その周縁を必要とし、言葉はそこで生まれて育つものだ。
そして、詩は、藝術は、その周縁や、その相手と、育てるものだ。
批評は、詩であるし、藝術だ。
本当の言葉は、生に向かわせる。
死や、存在しないということは、批評の対象にならない。
批評は、どうしても生を前提としているから、
その相手と、その周縁と
その周縁を、その相手と
どうしても、生きるということ、
生きるということや、生まれてしまったということ、
言葉が生まれるということ、言葉が死ぬということ、
感じるということ、世界ということ、
周縁や、生きるということ、
その相手と、生きるということ、
感じる、生きるということ、
に向かわせるのだ。
戻る 編 削 Point(2)