石田瑞穂詩集『耳の笹舟』について/葉leaf
 
は、私たちの自明な意識からは省略されてしまう身体と世界との根源的な融合への遡及であり、詩の成立する源泉にある不透明な根拠に立ち返るということである。感覚的なものの相においては、視覚も聴覚もその原初的な触覚的様相を明らかにし、それゆえ、石田が視覚的イメージを列挙してもそこには触覚的な手触りが感じられるのである。
 引用部を見ると、「無精髭」「枯葉」「宝石」「カミキリムシ」など主に視覚によってとらえられるものたちが列挙されているが、この詩集の文脈で読んでいると、あたかもそれらのものたちから音が聞こえて来たり、それらのものたちの手触りが伝わってくるかのようである。

twitterは からきしだめ
[次のページ]
戻る   Point(1)