石田瑞穂詩集『耳の笹舟』について/葉leaf
私たちにとって目や耳は透明である。視覚情報や聴覚情報は記号作用によりすみやかに意味に変換されるし、そこに世界は現前していても、その世界を映し出している目や耳自体は無視されてしまう。私たちはあたかも目や耳が存在しないかのように、当たり前に世界の現前を受容している。だが、そこで省略されているもの、括弧に入れられているものにこそ詩の源泉はあるのかもしれない。
注射をうった日は、とりわけ誰かが廊下にじっとひそんでいるような、音ともつかない音が耳の奥底を谺しながら流れている。耳鳴りとまではいえないものの、奇妙な気配が頭の芯からはなれていかないのです。
(「星をさがして」)
石
[次のページ]
戻る 編 削 Point(1)