金井雄二詩集『朝起きてぼくは』について/葉leaf
金井雄二の詩集『朝起きてぼくは』を読むととても安心する。なぜならそこには見慣れた「生活」の光景があるからだ。金井は特に気張って「詩」を書こうとしない。「詩」よりも「生活」を重んじるのが彼の立場だ。だが、この安心は曲者である。この安心には深い裏切りが隠されているように思える。金井は生活を描くことで逆説的に読者を裏切っている。その構造について少し語ろう。
現代詩を読むとき、私たちはいくつもの判断停止をしなければいけない。詩人はそれぞれに固有の世界を持ち、詩人たちそれぞれの世界はそれぞれに相容れないものであり、詩の中で使われている言葉の意味や言葉のなす行為について私たちは共通了解を持たない。私たち
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