南相馬日記/葉leaf
 
と、私の詩が実体験に基づけば基づくほど、そこには震災の爪痕が否応なく入ってくることになる。そこでは震災自体は語られない。ただ、震災後一定の時間がたってもなお残る震災の爪痕がどうしても詩の中に入ってくることになるし、震災の爪痕の体験は強度の体験であるため、詩の題材としやすい。
 好奇の対象や一つの歴史的事件として震災を作品化するのではなく、ただ自分の生活の中に否応なく入ってくる実体験として震災の爪痕を作品化すること。私はそのような震災―後―詩を書こうとしている。

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