佐峰存詩集『対岸へと』について/葉leaf
 
ケーションであり、だから詩を読むのは楽しいと同時に深い疲労を伴うのだ。
 佐峰存の詩群は、一見視覚的で、論理的に把握すればそれでおしまいであるかのように見せながらも、実は視覚に回収されない実存の細かな振る舞いが息づいていて、聴覚や触覚も動員しなければ鑑賞できないものである。そして、そのような鑑賞の空間を成立させているのは二重の臨床性の空間であって、それは詩人と読者の間の実存的なコミュニケーションを要求するものである。

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