悟り/葉leaf
 
もはや夕焼けを通り越した。落ちた日の残照によって、果樹園の木々は暗く色づき、その日の生命を一度閉じる手前に来たかのようだ。中学生の頃の私は、学校帰りに果樹園の中を走ってくると、その中の一本の樹の根元に腰を下ろして、おもむろに瞑想を始めた。こうすればこの穢れた俗世を超越する悟りが開ける、そう思った。悟りは来なかった。だが、秋の虫の声が聞こえる中、沈みゆく世界と自己が肌で激しく接触する官能に、私は身震いするのだった。私はそこで、精神と身体と世界とが接して和解するような澄んだ感慨を幼いながらに感じたものだった。

高校三年のとき、私は友人に次のような年賀状を送った。「僕は何度も真理を垣間見ました。と
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