希死/葉leaf
ているのかもしれない。死にたい、という発語は、実は、生きたい、を意味しているのではないか。実際、死にたい、という発語には、生きなければ、という意志がすばやく続き、そのあとに、なんでこんな言葉が発されたのか、という驚異が僕を覆い尽くした。死にたい、は漠然と死に向かう人間を生の側に呼び戻す警笛の音であり、死の眠りをまどろんでいる人間を覚醒させる冷水に他ならない。しかしそれは本当だろうか、死にたい、が訪れたときの異様な静けさ、その瞬間に垣間見た何もかもが混然となった真実のようなもの、そして絶望に似た甘い法悦、それらは生とも死とも違う属性を帯びていた。生や死が答えであるのなら問いのようなもの、生や死が方向であるのなら点のようなもの。僕の生の殻はひどく抉られていて、痛みははなはだしく、その抉られて薄くなったところが割れて何かがにじみ出し、それはすぐさま、死にたい、という発語に変わった。僕はバッグに入れて持ち運ぶものが一つ増えた気がした。長旅の際に思いを巡らす中継地点ができた気がした。過去にも未来にも同じだけの傷がたくさんちりばめられた気がした。
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