なぜ生活を詩にするのか/葉leaf
詩は自由に書かれて一向に差し支えないと思う。想像力の赴くままに飛躍している詩行もまたよいだろうし、現実の人生をなぞった詩行もまたよいだろう。だが、私はかつてひたすらフィクションの完成度を追求していたのに対して、今では人生の細部の感興を詩にしようとしている。では、なぜ私はこのように生活を詩にしようとしているのか。
詩はいつでも自由を志向している。言語が許す限りどこまでも自由に言葉を操れるのが詩というジャンルである。だが、私はそんな自由では物足りないのだと思う。詩は自由であっても、その自由を制約するものとの厳しい緊張があるからこそ、その自由を獲得するための努力を費やす面白味が増すのである
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