夢中/葉leaf
 
がいつまでも未知でありつづけるように、私は音楽を覚えようとはせず、ただ華やかに滑っていくための現在を調達し続ける。いずれ既知のネットワークに埋没してしまう、そうなる前のみずみずしいひらめきを心臓にともす。

夢中になってしまうのは、朝陽が風景を照らし出し徐々に明るくなっていく過程。この目の前の小さな風景のドラマと同じものが、世界中の庭先で、特に凝視されることもなく過剰に美を振りまいている。人間の感じ取る美など、世界が放っている莫大な美に比べたらまるで些細だ。だが、その世界の莫大な美の些細な一部分でさえ、世界を包含するような大きな宇宙を内に秘めている。

夢中になってしまうのは、気の合う友達とのおしゃべり。私たちは怠惰に逸脱しながら、その逸脱にいくつもの鉱脈を見出す。自分たちの中に眠っていた休憩中の生物を理由もなく叩き起こし、話の筋に泳がせることで自由に飛び跳ねさせる。話はますます逸脱し、私たちの未開の土地がどんどん耕され、やがて草が生え木が生えるための土壌になる。筋からはぐれて迷子になるために、私たちは自分たちをほどいていく。

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