人生は退屈ではない/葉leaf
 


 詩を書いている多くの人は、詩のイメージの中に現実以上の刺激や面白味を込めようと工夫しているように見受けられる。それは結構なことだし、そういう現実では味わえないようなものを、たとえ言語世界内であるとはいえ、体験できるのは楽しいことだと思う。
 だが私はそういう人を見ると思うのだ。この人は人生が退屈なのではないか、と。ただ生きていても特に面白いことがないから、奇抜な表現や奇抜な世界設定をすることで、彼方へと飛翔しようとしているのではないか。
 かつて西脇順三郎は現実は退屈だと喝破したし、萩原朔太郎に至っては、詩は存在しないものへの憧れだとロマンを語った。二人に共通して欠けているものは、現
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