幸福論/葉leaf
 


人間の行為を肯定するために幸せは捏造されました。仕事、ギャンブル、放浪、それが幸せであれば許される、そんな風に幸せでもないことが幸せ扱いされましたが、当の幸せ自体は空っぽの何でもありでしかなかったのです。幸せが空虚であるところから人間の幸せへの希求は始まるのです。人間の行為は大きな悲しみに向かっています。あるいは大きな喪失、大きな怒り。人間は梯子を掛け違える生き物です。掛け違えることでしか正しく梯子を掛けられない。サラリーマンが取引相手と交渉に成功します。コンビニの店長が売り上げアップに成功します。その先にあるぽっかり空いた涙の出るような空間、そこに幸せはあるのではないですか。どんな栄光も
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