異邦人/葉leaf
 



ふるさとはこの国の中心でも周縁でもなかった。中心や周縁という区分、正常や異常という区分、そういうものが消滅する場所がふるさとであった。そこには無数の人々によってじかに生きられた地図が、それぞれの光でもって縫い合わされていて、無数の人々にとっての意味や記号が繁茂していた。勝敗というものを初めから放棄している、そもそも規範だらけのゲームには初めから参加しない、そういう柔軟性がふるさとにはあった。

私は夏休みにふるさとに帰り、所用を済ませるため自転車で近くの商業地帯へと行った。用事を済ませた帰り道、歩道には歩いている高校生や自転車をこいでいる老人など、多くの人たちが行き交っていた。私は
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