ありがとう/葉leaf
 
に「ありがとう」と言いたい、という気持ちの綻びだった。私は驚いた、なぜなら私の感傷はこれまで「ああ苦しい人生だった」とか「結局自分は愛に飢えている」とか「世の不良少年を愛す」といった類のものであり、悲しみではあれ決して感謝などといった向日性の感傷はなかったからだ。他人の厚意に感激することはあっても、それは相手に対する反応であって、このように不条理に湧いてくる感傷が感謝の装いをとったのは初めてのことだった。

不条理に湧いてくる感傷が、自己中心的な悲しみではなく、他者や社会と一体をなす感謝となったことは、私の根源の変化なのか、或いは私の意識の変化なのか。名付けられぬ不条理な感傷が初めから他者の思
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