七年目のグノシエンヌ/もっぷ
 
は欲していない
と誓うことは容易い。と誓うこともできる。けれどそこには
。ほんとうにほんとうに
ほんとうにほんとう
にほんとうに「



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ぼく」は消滅できているか「ただしく導かれたのか教えてよ
」さみしみだけを感じている。さみしみだけを覚えている「
存在していた頃の夢があまりに鮮明でとても苦しい、光りを
赦してください、愛ってなんだろう、愛ではないとさざなみ
にささやく無はその声をどこから得ているのだろう、永遠」
などまぼろしにすぎない。思惟の結果たどりついた解を抱き
しめてやはり葦にならずに語るべき言葉が愛だったという「
結果論が泣いています、もう帰ることはできない、一人称を
持っていた頃に、カシオ、カシオ、刻んでくれてありがとう、
ぼく、だった日日を」愛してた。愛してる。ついに証明した
。さようならさようなら
きみとそして「
ぼく」}



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