サリンジャーとドストエフスキー (現代小説と近代小説の断絶について)/yamadahifumi
て、主人公の自意識の『外部』とは何に相当するのか?。これはドストエフスキーにおいても、極めて重要な謎として残った。そしてドストエフスキーはそれを作品の形として解消し、それに対する答えを与えた。この『外部』というのは極めて重要な問題を僕達に与えるが、それについては今は述べない。今はもう少し自意識の問題に触れよう。
例えば、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」は明らかに現代小説だ。何故そうなのかと言うと、そこで起こる事は全て、ホールデン君の自意識の中でのみ意味を持つからだ。…実質、この世界はホールデン君には、大して意味のあるものではない。ホールデン君にとって、この世界は彼の意識が嫌厭する
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