声/砦希
 
今となっては
あの人の声も覚えていない
高校時代お世話になった
片野先生の声であれば覚えている

あの人に対して
愛おしい
と感じたことは一瞬だけあるけれど
片野先生に対して愛おしいと感じたことは
一度も一瞬もない

けれど私は
片野先生の声は覚えていて
あの人の声は覚えていない


歩く時に
空を見上げる時のあの人の目は
なんとなくだけれど
覚えている

お酒を飲む時の
喉仏の感じも
なんとなく

でもそれは
別の誰かだったかもしれない


こうして私の青春は
記憶とともに
むしり取られてゆくのか

けれどそのおかげで
私の心はとても穏やかに
消えてゆくものは消えるべくして消えるのだと

この安らいだ風は
あの人の声を運んでこない

ただ存在の記憶だけ
ときどき思い出すだけ

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